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たゆたふやうに…童話の裏庭

児童文学を書いています♪ このブログではさもない日常のこと、たまに創作周辺のお知らせなどをいれています。


楽しい、という罠

  1. 2011/11/11(金) 00:45:00|
  2. ちょっぴりの思うこと
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  4. | コメント:3
最近、コメントできないことが多くてごめんなさい。
ひっそりと出没しておりますゆえ、許してくださいね。


さて……

今日は、日常での思うこと少々。
でも、これはきっと、児童文学にだって、決して無関係じゃない。


この歳になると(まあ、どんな歳でも、おとなもいいころあいになると、という意味合いですが)、
生きる、ということにあまり意味をもたせなくなる。
若いころは、「これをやらねば、生きている意味がない」「こうでありたい」
「これをめざしたい」などなど、きっと、誰にでも、
「生きる」に、意味をみていた時代があるのではないだろうか。

ところが、やはり、ただ、生きていくことがいかにむずかしいか。
普通に生きているだけで、何かしらのトラブルがあったり、
家族や周囲に問題がおこったり、そのほかもろもろ……
何も経験していない人は、たぶん、どこをさがしてもいないのではないだろうか。

そうすると、「楽しく生きる」ということがとても大切な意味をもってくる。
「楽しく」生活する、「楽しく」活動する、「楽しく」参加する
「楽しく」すごす、「楽しく」……。

楽しいことは、なるほど、なにごとにおいても、本当に大切なことで、
それは、誰もが望むことであり、場所になりうる。

そして、楽しいを維持するためには、
かなりの労力もかかれば、努力もいる。
現実はいろいろな問題をかかえている。
だからこそ、貴重であり、こわしたくないところにつながっていく。

ところが、そんな場所さえ人が集まれば、何かしらのことがあってあたりまえ、
何もないほうがどうかしている。
じゃあ、どうするのか?

ここにいくつかの選択肢がある。
(これは、みなが何かしら「楽しい」と思って集っている場所、だとする。)

①何かしらの元を排除する
②何かしらの元をただすように意見する、もしくは努力する
③そもそも、何かしらの元を、「元」だと断定する要素を認めない
④何かしらの「元」を苦痛に思う人や意見を排除する(スルーする)
⑤何もなかったことにする

さて、どうするだろう?

①から順に、ストレス度の高い順に並べてみた。
そして、「元」だけみても、それをよしとするむきと、不快に思う向きとが
あるだろうが、私はここで問題なのは、
「元」に対して、元の意思に関係なく、楽しくない人(被害者)がいる場合だ。

この被害者が、ひとり、声をあげる。
それは、どうなるか?

たいていは、⑤におさまってしまう。あるいは、⑤の意見が大半だ。
よほど理解者がいて、その被害者個人にとどまらず、被害が組織に
影響していく場合に、だんだん、数字は上のほうへむかっていくが、
それでも、②までいくことはよほどの努力が必要になる。

人は、その努力を歓迎しない。

なぜなら、人は「楽しくすごすための場所」として、ここにいるわけで、
楽しくない人がいるのは、その人が悪いわけだ。
決して元を元として認めたくないし、認めてしまうと、楽しくなくなってしまう。

被害者の程度にもよるかもしれないが、みんなが楽しい場所をこわす、という意味で、
被害者のほうが、悪い気持ちにさえなるかもしれない。

だから、なかったことにするのが、いちばんいい。


そう……
「楽しくやりたいよね」という合言葉は、言い換えれば
「めんどうくさいことをいわないで」という
暗黙の了解になっている。

困っている人がいる。
悲しい思いをしている人がいる。


そこを犠牲にして得られる楽しさって、なんだろう?



この構図、見て見ぬふりをする、あるいは、
言ってもたいしたことがないと思う……

いじめと同じだよね。
自分たちは、いたくもかゆくもなく、
傍観する。
自分がかかわったわけじゃないから。

「元」はもっと悪い。



小さな心は傷つく。
傷ついたことがいえずに、傷ついていく。


……「楽しい」という心地よい合言葉。
ほんとうの楽しさは、そんなものじゃない。



追記*
この文章は、本当のことを書いたものでありません。
今までの過去に積み重ねた経験のいろいろをミックスして、
エッセンスだけで構成しました。
いつか……そう、いつか。
原稿の形で向き合いましょう。


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テーマ:児童文学 - ジャンル:学問・文化・芸術


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