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たゆたふやうに…童話の裏庭

児童文学を書いています♪ このブログではさもない日常のこと、たまに創作周辺のお知らせなどをいれています。


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春の七草っていつからの伝統?

  1. 2011/01/08(土) 00:07:00|
  2. 江戸雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
今日は七草粥の日。
私の実家では毎年、たぶん、ほんとうに毎年、七草粥はきっちりしていたので、
「ぼくさあ、お粥ってきらいだから、とくに七草粥っておいしくないし、
ハンバーグにしてよ
という、ふとどき息子のいうことは無視して、
やはりお粥を作りました♪


春の七草

七草の風習はじつはかなり古いところから成立しており……
元和2年(1616年)に、江戸幕府亜が七草の故事、所以を調べたけれど、わからなかった、
という記録が残っています。

節句といえば、三月三日の節句(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕・ななせき)が、
現代でも風習として残っていますが、五節句という言葉を聞いたことはないでしょうか。
これらに九月九日(重陽)、そして、一月七日(人日)を加えたものを、そう呼んで、
江戸幕府の公式行事の日でもありました。
五節句のときには、江戸表にいる大名たちは、登城するのがしきたりでしたので、
大名行列を見るために、江戸城周辺にはたくさんの見物客がおしかけました。

さて、節句のひとつに数えられていた一月七日ですが、やることといえば、
現代でも同じ、七草粥を食べるのです。
もともと、春の七草は、若菜ともよばれます。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」
という、平安時代の光孝天皇の歌ですが、若菜摘みの風習が、
春の七草になり、おかゆを食べて、無病息災を願う行事に発展したわけです。

ということで、我が家のできあがったおかゆは……
食べてしまいました^^;


ではかわりに、ということで、

実家のお雑煮&おしるこ
遅ればせながら、実家のお雑煮です。
牡蠣とごぼう、せりのすまし汁。仙台のお雑煮になります。
私が受け継いでいるお正月の伝統は、母の実家、仙台のものだと思います。

お正月のお雑煮の話をはじめたら、きりがないので、
それは見送ることにして^^;

でも、正月におせち料理を食べる、というのは、当然江戸期から
あたりまえのように、存在しました。
ただ、武家と庶民とでは違うものでしたし、豪商などのお金持ちもまた
豪勢なおせち料理を食べていたわけです。

たとえば、人気料理屋の格付け表が存在するのですが、
(文久3年版)、それによると、別格として3つの高級料亭の
名前が見られます。
平清 八百善 嶋村

この3つ、ことのほか八百善は、最高級の料亭として、
江戸後半には、一世を風靡しました。
その八百善はつい最近まで存在していて、いまでは
店はなくなりましたが、日本橋三越で、お惣菜を買うことができます。

その八百善は、おせち料理を販売していたようで……
写真、すぐに出てこないのですが^^;
江戸期の御節を再現したというそれは、
現代食べられているものと、あまりかわりません。


現代に残っている江戸の名残って、
案外たくさんあるのですよね^^


番外編。
私の父が毎年お正月に作る栗きんとん。
父の栗きんとん

私が作るものは、父にはかないません♪
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テーマ:歴史雑学 - ジャンル:学問・文化・芸術


「桜田門外の変」見ました

  1. 2010/12/08(水) 22:19:22|
  2. 江戸雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
メジャーな映画ではありませんが……
「桜田門外の変」を見てきました。

忘れるといけませんので^^;
覚書程度に。


自分も「桜田門外の変」はやむを得ず、ちらりと書いたことがあり、
(ほんとうは、こういうものは書きたくない^^;)
さて、映像と比べると、どうかな、と
興味は大変大きかったのです。


結論。
よしよし♪ 
史料、資料、参考文献から書いたのですが、
想像通り。


という自己満足はよしとして、
この映画について、ですが。


これはこの時代の尊皇攘夷運動の細かな変遷を知らないと、
理解できないんじゃないのかなあ……???
というのが、第一印象でした。


なぜ井伊直弼を討ち取らなければならないのか。
それは、たとえば赤穂浪士の討ち入りとは、
まったく質の違うものです。
赤穂浪士たちは、主君のあだを討つ、という
あだ討ち禁止の江戸にあって、その禁をやぶってまで
主君に忠義を尽くす、そこが庶民の心をつかんだし、
大義名分がたつのです。


じゃあ、井伊直弼はどうなのか。
水戸藩主の徳川斉昭に対して、傍若無人な振る舞いをしたり、
徳川御三家をないがしろにして、お世継ぎ問題に勝利する。
権力をほしいままにして、独裁政治を行った感があります。
なので、水戸藩と日本の未来を憂いた若者たちが、水戸藩を脱藩してまで、
国のために井伊直弼を討つのですが。


ところが、どうしても、その理由だけで大老を討つか、
という説得力に欠けるというか。
江戸の昔では「義」のために立ち上がる、というのは
理由として充分なのですが、現代人にとっては、感覚がまったく違うので、
史実に基づくなら、それ相応に感情移入できる理由というか
納得できる何かがほしかったかなあ。


でも、全体として、かなり史実に忠実に、再現していくという
試みと意気込みが感じられて、私は好き♪


どうしてそこでそうなるんだ!?
という歴史の悲劇は、その時代のほんとうにピンポイントで、
めまぐるしく、情勢、思想が変化していて、元々理解しづらいところでもあります。
誰かが物申せば、それにつられて、次の日には、ガラリと
方針が変わるのも、このピンポイントの流れでもあって。



一般的には井伊直弼が行った安政の大獄のせいで、
明治維新が10年遅れた、ともいわれていますが。
井伊直弼を生かしておいたら、さらにあと10年くらい遅れたかもしれません。
でもその見方は、明治維新を良しとする方向から見て、ですよね。
水戸藩を大事に思い、主君に忠義を尽くした浪士たち。
そして、水戸藩おとりつぶしを恐れた藩主。
彼らは明治維新を果たして歓迎したのでしょうか……?


彼らの決起は、幕末の流れのなかで、早すぎて、
まだ、雄藩や志士たちは、眠っていた時期……。
映画の最後にそんな感想をもちました。



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江戸時代の紅を購入(江戸雑学)

  1. 2010/11/16(火) 23:00:00|
  2. 江戸雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10
ずいぶんと、あいだが空いてしまいましたが、
私のブログのカテゴリーには「江戸雑学」というものがあります。
それは、私が江戸物を書く際につきまとってくる、
「調べ物」の一端をここで、紹介してしまおう、
という意図のものです。
ああ、ここでご紹介するものは、お話とはまったく
なんの関係ないものなので、ねたばれの心配は
ありません。
じゃあ、なんでそんな余計なことを調べているのかといいますと……

趣味です♪

それだけです^^

だって、面白いのですもの。

ということで、久々になりましたが、
今日ご紹介するのは、江戸時代の女性が使う
「紅」についてです。 続きを読む

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歴女でもなく、幕女でもなく

  1. 2010/10/25(月) 10:44:36|
  2. 江戸雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
急に寒くなってしまって、羽布団を出さないといけないかも~
と思っている今日このごろです。
みなさまは、お風邪などひいていないでしょうか?
我が家(!我が家の話題、というのはめずらしいですね!)は
みな風邪ひきだったり、鼻炎だったり、とちょっとグズグズしていました。
みなさまも気をつけてくださいませ。

さあ、何を書きましょう、と思いつつ。
ほんとうは家族のことも書きたいし、
音楽のことも書きたいことはたくさんあるし、
出来事はそれこそ、たくさんあり。
なのだけれど、世の中(オーバーですね)の事情が許さないので(苦笑)。

今日は師匠に犠牲になっていただいて^^;




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高田馬場の流鏑馬、連写!!

  1. 2010/10/12(火) 22:45:00|
  2. 江戸雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
高田馬場、実際には地下鉄早稲田駅からほど近くに、
穴八幡宮という神社があります。
私はちょっとした理由から、ここにはよく出かけるます。
時代はさかのぼって、江戸時代、8代将軍吉宗のときに、
近くの馬場(幕府の弓馬調練所)で、将軍家奉納の穴八幡流鏑馬神事を
行ったのが起源で、ここで流鏑馬が行われるようになりました。

ここの流鏑馬は、江戸市中から人が集まる人気の行事で、
戸塚村周辺のにぎわいをよく絵巻などえ伝えています。

ということで、長い前置きでしたが、
その流鏑馬見物に出かけました。

流鏑馬のぼり


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